2015年6月14日日曜日

ボンちゃんとお母さんのこと

久しぶりにお山の散歩道でボンちゃんのお母さんに出会った。

ホリーは、ちぎれんばかりにしっぽを振りながら、ボンちゃんのお母さんのもとへ一目散。ぴょんぴょん飛び跳ねながらお母さんにまとわりつく。愛想なしのホリーが、人と出会ってこんなに喜ぶのはほんとうに珍しい。しかも去年までは、こんなにうれしそうな様子を見せることはなかったのだ。まだ、お母さんがボンちゃんと一緒にいたときには。

ボンちゃんと初めて会ったのは、ホリーがうちに来てまだ間がない頃。暑くなり始めの、今くらいの季節だった。子犬だったホリーは、犬と見れば全力で突進し、遊んで!遊んで!!とはしゃいでいた。そんなホリーを避けながら、ボンちゃんは迷惑そうな顔をしていた。ホリーより 1 つ年上のボンちゃんは、まだ若いのに老成した雰囲気の落ち着いた子だった。視線はいつも、一心にお母さんの姿を追っていた。お母さんはまるで、ボンちゃんの神様だった。

ボンちゃんは、最初の飼い主のところで繋がれっぱなしで飼われていたため、虐待の通報を受けてしまったそうだ。お母さんに引き取られるまでは、散歩なんてしたこともなかったのだろう。

ボンちゃんのお母さんはとっても健脚で、坂道の多い道のりを、背筋を伸ばしてしゃきしゃき歩く。ボンちゃんはその足元にぴったりついて、いそいそと歩く。弾む足取り、きらきらとお母さんを見上げる瞳。それは幾多の苦難を乗り越えてきたボンちゃんにとって、天国のような日々だったろう。

だけど、ボンちゃんの試練はそこで終わりではなかった。一昨年、ボンちゃんはヘルニアで立てなくなってしまった。お母さんの献身的な看病でまた散歩を楽しめるようになった矢先、昨年には癌が発覚した。

ボンちゃんと最後に会ったのは、去年の秋の終わり。何セッション目かの抗がん剤治療に通っていたボンちゃんの首回りは、腫瘍で痛々しく腫れ上がっていた。人間だったらそんな状態で、落ち込まずにはいられない。それでもボンちゃんは、それまでと変わらず、大好きなお母さんの顔を見上げながら尻尾をふり、うれしそうに歩いていた。

ボンちゃんは、昨年の初冬に亡くなった。容体が急変したボンちゃんを、お母さんは慌てて車に乗せ、お医者さんの元へと走った。ボンちゃんは、その車の中で息をひきとった。

亡くなるとわかっていたら、家で静かに看取ってやればよかったと、お母さんはさんざん悔んだそうだ。速い段階で、もっと設備の整った病院に連れて行って診てもらうべきだったか、もっと何かしてやれなかったかと、今でも自問するらしい。

「写真で見ると、どれもさみしそうな顔しているの。幸薄い子だったから」

だけど私が思い出すのは、お母さんの顔を一心に見上げて、嬉しそうに歩くボンちゃんの姿ばかりだ。最後の刻まで共に闘ってくれたお母さんがいて、ボンちゃんはどれほど心強かっただろう。

犬好きな人たちに手を差し出されても、いつもクールな顔しているホリー。かつてはボンちゃんのお母さんも例外ではなく、興味はボンちゃんにばかり向いていた。そのボンちゃんがいなくなって急に、ホリーらしからぬ熱烈アプローチをボンちゃんのお母さんに仕掛けるようになった。不思議。

その別犬っぷりを見て思うに、苦しいことすべてから解放されたボンちゃんが、お母さんの足元で今も散歩を楽しんでいて、通りかかったホリーの身体を借りてお母さんに大好きって伝えているんじゃないだろうか。超常現象の類は一切信じない私だけど、そう思う。そういうことが、あってもいいじゃん。

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